2014年11月度例会「鉱物のはなし あれこれ」

平成26年11月26日(水)恒例の日本記者クラブ会議室で11月の例会が開催された。今回の講演者は会員で、当社団副会長の児玉亨氏、演題は「鉱物のはなし、あれこれ」。同氏は小学生の頃から当時の先生の良き指導のもと、鉱物に興味を持ち始め以来60余年、余暇を使って研究と採集を続け今日に至っている。採集した標本はなんと1万点、同氏曰く「日本では質的にかなりのコレクション」。今ではこのコレクションのためマンションを所有し日々整理に追われているそうだ。

 

ところで講演は、我々が普段使っている「石」という言葉が「鉱物」も含んだ意味で使われており、これが混乱の元ということから始まった。石は岩より小さいものを指す大きさを言う言葉で、あくまで石であって名前が無い。一方鉱物は造岩鉱物(岩石の構成要素)や金属鉱物(マグマ中の金属元素が地殻変動で地表近くに上がってきて固まったもの)のことで具体的に名前を持っており、これらは分けて使うべきであるとの事である。

 

次にヨーロッパと日本における人と鉱物との関わりに移り、西洋では古くは18、500年前といわれるフランスのラスコーの洞窟壁画やその後のスペインアルタミラの洞窟壁画の顔料にベンガラや二酸化マンガンが使われ、以来脈々と近代まで鉱物が人々の生活を豊かにしてきた。一方日本では後期旧石器時代から生活用品として鏃、石刀などに利用される黒曜石による文化が誕生。更に縄文時代に新潟県糸魚川地帯で蛇紋岩を石斧に加工する技術を応用することで精巧な翡翠による宝石文化が誕生したが6世紀には消滅し昭和になるまで1000年も忘れさられていたことに話が進み、こうしたことで国民レベレでの鉱物に対する理解度が西欧と大きく違うことになったことに話が及んだ。驚いたのは台湾故宮博物館でみられる工芸品は、有名な白菜以外は軟玉といわれる透閃石という角閃石の仲間により造られたもので中国では翡翠と呼ばれる硬玉は産出されず、清代になってミャンマーから輸入されてから発展したという事である。

 

次に日本における鉱物産出は、種類が多く世界中の30%近くあるが、これは我が国の成り立ちが激しい地殻変動を受けたことを物語るものであること、例外も1,2あるが産出量は多くはないということ、結晶が大きく、立派なものは少ないということである。また日本でも、ごくごく微量ではあるがダイヤモンドが見つかったという驚きの事実も語られた。

 

ここら辺から講演時間の残りが気になりだし、ジオパークや公害問題など大事なテーマがだいぶ端折られてしまった。機会があれば次回第2部を是非聴かせてもらいたいものである。

(文責 杉野)