2018年5月度例会講演「近代日本 FRB ロスチャイルド」

講師 : 松岡 天平 氏

 

 

松岡氏は、1965年岡山朝日高校卒、1969年東京大学経済学部卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。1982年モルガンスタンレーに6ヶ月間のトレーニー(業務研修)、1990年DKBインターナショナル(ロンドン)副社長、2004年(株)シーエルシー代表取締役社長、2005年よりEU Japan Consulting & Associations特別顧問。

 

 

今回は、「近代日本 FRB ロスチャイルド」をテーマに1時間強にわたり講演をいただいた。

 

講演内容の要旨は以下の通り。

 

本日の講演にあたっての4つのキーワード。

①    ジャーディン マセソン商会

元英国東インド会社の船医だったスコットランド出身のユダヤ人、ウイリアム・ジャーディンと同じ出自のジェームス・マセソンにより、1832年に中国のマカオに設立された貿易商社。主なビジネスは、アヘンと紅茶。長崎のグラバー邸で有名なトーマス・グラバーが長崎に設立したグラバー商会は、ジャーディン マセソン商会の代理店。

 

②    サッスーン財閥

18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤの富豪。一族のバクダッド生まれのデビット・サッスーンは、1832年、アヘンの利益を求めインドのボンベイに移住、アヘン貿易で巨利を得た。それを基に、サッスーン一族主導で、1868年8月、香港上海銀行(HSBC)が設立された。ロスチャイルド家とは親戚関係。第二次大戦後の吉田茂首相の特別覚書による米国からの30憶ドルの借款は、サッスーン財閥から借りたもの。

 

③    香港上海銀行(HSBC)

大英帝国のヴィクトリア女王の時代に起こったアヘン戦争は国際金融家に莫大な利益をもたらしたが、その富を取り扱う銀行として、1868年にサッスーン財閥を中心に設立されたもの。出資者は、サッスーン商会、ベアリング商会、ジャーディン マセソン商会、ロスチャイルド系のバークレイズ銀行。日露戦争の戦費調達のためのロンドンでの日本国債で一貫して主要引受人として起債成功に尽力。

 

④    ロスチャイルド家

ロスチャイルド家の始祖、マイヤー・アムシェルは、1744年にドイツのフランクフルトに生まれる。5人の息子を、フランクフルト、ロンドン、パリ、ウイーン、ナポリに派遣し、「5人の息子が束ねた5本の矢のように一つになって決して離れることなく力を合わせるように」との哲学の下、ロスチャイルド家の繁栄の礎を築いた。

マイヤーは、古銭の商いを通して貴族や富裕層との繋がりを深め、プロイセンの君主フリードリヒ大王の皇太子ヴィルヘルム公とも親しくなる。1803年からのナポレオン戦争では三男のロンドン家のネイサン・ロスチャイルドがヴェルヘルム公の資産管理を任され富を築く。有名なワーテルローの戦いで、ネイサンは圧倒的な情報力の差を利用して莫大な資産を築いたといわれている。当時英国はナポレオン戦争の戦費調達のため、ロンドン市場で公債を発行していた。ネイサンはワーテルローの戦いで、前日にナポレオン敗北の報をいち早く入手し、翌日ロンドン取引所に向かう。取引所に姿を現したネイサンは、眉間に皺を寄せて公債を売り始めた。市場はネイサンの売りでウエリントンが敗れたと受け止め、パニックになり暴落を続けた。そしてウエリントン勝利が広まろうとしたタイミングで一転買いに転じ巨利を得たと言われている。

この情報力については諸説あるが、ネイサンがドーバー海峡に自家用の快速艇を所有していた、ドーバー・ロンドン間に早馬を持っていた、伝書鳩等の利用があったようである。しかし、パリのロスチャイルド家のジェームスとの連携も効果を発揮したと考えられる。

 ロスチャイルドで忘れてならないのが、スエズ運河の買収。フランスが中心となり10年かけてスエズ運河は開通(1869年)するが、英国は当初から技術的に困難だからと参加しなかった。ところが完成してみると貿易の大動脈をフランスに押さえられるピンチに陥る。当時エジプトを支配していたオスマントルコが運河に多くを出資していたが、出資難に陥り出資金の肩代わり先を探しているとの情報が入った時、英国のディスレイリ首相(ユダヤ系)とネイソン、ロスチャイルドが懇談中で、ディスレイリは、ネイソンに即相談し、この千載一遇のチャンスに議会に諮ることなく400万ポンドをネイソンから資金提供を受け、オスマントルコに対し、出資の肩代わりを申し入れた。この2人による電光石火の決断が英国を救った。

 さらに、ロスチャイルドで忘れてならないのが、ボルドーワインの話。ボルドーの第一級格付けワイン5つのブランドのうち、パリのロスチャイルドが「ラフィット」、「ムートン」、ロンドンのロスチャイルドが「ムートン」を保有している。

 ロスチャイルド家は、日本の近代の発展にも大きく寄与しているが、米国のFRBの設立には、ロンドン家、パリ家ともに大きく関わっている。

 

1.近代日本とロスチャイルドの関係は以下の通り。

①    幕末: グラバーがロスチャイルド系の「ジャーディン マセソン商会」の代理人として1859年、開港間もない長崎へやってきた。日本では、倒幕、佐幕を問わず、武器弾薬を販売。坂本竜馬の亀山社中、海援隊と取引し、海外留学の手引きをした。

さらに高島炭鉱開発、製茶工場、造船所、キリンホールディングの基礎を作った。

②    日清戦争:日本は戦費をロスチャイルド系銀行から調達。清国は、日本に支払う賠償金を「ジャーディン マセソン商会」から借りる。日本はそれで戦艦「三笠」等を建艦。

③    日露戦争:日本は総戦費18億円のうち、13億円を外債発行で賄う。クーンローブ等が起債の中心。その担保は、関税収入と煙草専売益。

④    第2次世界大戦:1951年、サンフランシスコ講和条約、同年、米国との特別覚書(密約)に吉田首相がサイン。

 特別覚書の内容

  焼け野原の日本復興のため30憶ドルの借款を60年賦で申し入れ。

  具体的にはロスチャイルド系のサッスーン財閥から借り入れ。

  米国が保証する代償として、日本は「国防権」、「通信権」、「航空管制権」を米国に差し入れ。

  2013年4月28日、政府主催の「主権回復の日」

 

2.FRBとロスチャイルド

① FRBとは:ロスチャイルドを中心とする国際銀行家が設立。但し、現在でもその株主は秘密とされている。1913年12月23日、中央銀行法(連邦準備法)が成立。

② FRBの特徴:

  ・通貨発行権等米国通貨の管理は民間人が所有

  ・FRBの株主は民間銀行のみで米国政府は1株たりとも所有できない。

  ・米国政府はドルを必要とするときFRBに国債を買ってもらう。

③ なぜ、国際銀行家が民間中央銀行による通貨発行を死守するのか。

  それは、通貨発行ほど儲かるビジネスは他にないから。

  米国債には金利がついており、それはFRBの収益。

④ 米国の通貨史

  米国の通貨史は米国政府対国際銀行家の長きにわたる戦いの歴史

  米国で暗殺された4人の大統領のうち1人(マッキンリー)の例外を除き3人までが、

  なぜか米国政府の通貨発行(FRBの現在の米ドルではなく)に固執していた。

  ・リンカーン 1865年米国政府ドルを中央銀行を通さず発行

  ・ガーフィールド 1881年銀硬貨を中央銀行を通さずに発行

  ・ケネディー 1963年政府紙幣をFRBを通さずに発行

 

 

3.ロスチャイルドの安全性

①    ヨーロッパの貴族の資産を数々の戦禍をくぐりぬけながら守ってきた歴史。

②    財務状況抜群で、自己資本比率25%以上

③    ロスチャイルド家も投資家であり、一般投資家の財産運用も、自分の財産運用もしているため、取り組み方がちがう。

 

日本銀行とFRBの比較については、時間の制約から、講演は割愛。

 

なお、講演終了後、松岡氏は懇親会に出席、会員と歓談いただいた。

 

以上

                                  (文責 星野)