2021年6月23日 月例会講演会「『一陽来復 東北と韓国と』 ~ 映画製作を通じて教わったこと ~」

講師:尹美亜氏 (ゆんみあ氏 映画監督)

 

 

 

プロデューサーとして関わった映画は5‐6本あるが、監督としては『一陽来復 Life Goes On』が初めての作品。

映画制作という仕事を通じて、東北の方々からたくさんのことを教えてもらった。これを本日ご紹介したい。

 

『一陽来復』とは、太陽はまた巡る、冬の後には春が来る、悪いことの後には必ず良いことがくるという意味。あまり知られていない、読み方が分からないということから、初めは映画のタイトルとしては却下されたものの、最終的には了承された。

元々は、『一陽来復』は東北の人々に贈る言葉との思いで名付けたタイトルだったが、今思えば、この映画を観る人一人ひとりが東北の人々からこの意味を教えてもらっているのだと感じる。

 

『一陽来復』にさきがけ、2016年に公開された、復興のトップランナーと言われる女川町を題材にした映画『サンマとカタール 女川つながる人々』があった。私は、プロデューサーとしてこの制作に携わった。これで初めて東北に通うようになった。

『サンマとカタール』は、壊滅的被害を受けた女川の復興に賭ける若者たちを描いたドキュメンタリー。カタールが震災直後に100億円の復興支援基金を作り、その支援先第一号として女川港の冷凍冷蔵倉庫庫再建事業が取り上げられたのがタイトルの一部としてカタールが冠される所以。映画の中で出て来る「死んだ人は生きている」というマルキチ阿部商店の阿部淳さんの言われた言葉だが、亡くなった人は生きている人々の心の中に生きているのだ、ということを教えてもらった。

 

『サンマとカタール』だけでは復興は語りつくせない、ここでは終わりたくないと思いが『一陽来復 Life Goes On』の制作に繋がった。 復興庁の補助金を得て、10か月という短期間で完成させる必要があり、監督を探したが行き当らず、自分で監督をすることとした。

『一陽来復』は、岩手、宮城、福島の三県を舞台に、”心の復興“をテーマとした。前を向いて生きている多くの人々の姿を伝え、目に見えない復興を描いた映画。 『サンマとカタール』では震災で身近な人を亡くした人にカメラを向けられてはいないが、『一陽来復』では身近な人を亡くした人にカメラを向けることとなった。ただ、カメラを向けることは何らかの暴力性を伴うもの、違和感があるものではないかとの思いもあり、いかにして被災者に負担がないようにするか、被災者を傷つけないようにするにはどうすべきか、といったことを考えた。

 

しかし、意外にもお会いした人(100人くらい)や出演してくれた皆さんは喜んで話してくれ、震災直後の悲しい話や苦労も語ってくれた。 普通は、被災当事者同士では敢えて悲しい話をしないものの、外部の人には多くを語ってくれた。最早、この映画は、私たち作る側の映画ではなく、出る人々の為の映画にすべきだという思いに変わり、出来るだけ多くの人々に出てもらおうという意図で編集を重ねた。

 

本日は、この映画制作で印象に残った幾つかの言葉を紹介したい。

 

大切なお子様3人を亡くされました、石巻市の遠藤伸一さん綾子さんご夫妻の2000日目の言葉。

前を向いている人を撮りたいとお願いしたら、最初に了承して下さったのが遠藤ご夫妻。大切なお子様3人が亡くなった自宅があった場所に遊具を置いて、人が集まる場所を作った。今は地域のたくさんの方が集まる場所になっている。ここに3体のお地蔵さんがある。

最初の取材の日が、被災2000日目の日。追悼式が終わった夜、遠藤さんご夫妻に『2000日を迎えて今どんな思いですか?』と尋ねた。 その時のご夫妻の言葉が、『2000日も子供たちにあっていないのか。2000日も会ってなくて私たちよく頑張ってるなと思う。』

人は時間が経てば解決するとか、心の傷が癒えるとかの話をするが、それはやはり外の人の視点だ。当事者からすれば、時の流れは残酷だということもありえると学んだ。子供たちがいない時間が長くなる、ということは当事者にとっては辛く残酷なこと。こういうことを想像しないで、『10年経ちました』という類の報道がたくさんあるが、時がたつことが必ずしも本人にとって幸せではないことを学んだ。

 

南三陸町の奥田江梨香さん梨智ちゃん親子。震災で結婚したばかりのご主人を亡くされた。

梨智ちゃんはお父さんに会ったことがない。

江梨香さんの、『震災の事は思い出すと辛いが、でも忘れたくないという葛藤が常にある』という言葉。 報道されないような修羅場を思い出すのは本当に辛いことなのだが、でも決して忘れてはいけないという葛藤は、私たちが想像するよりも辛いことだと学んだ。

 

南三陸町、毎日語り部バスを運行しているホテル観洋の伊藤俊さん

『風景としては津波の痕跡は見えなくなっている。でも、津波がなかったことにはしたくない。復興は嬉しいけれども、津波の痕跡が消えて忘れ去られることが一番恐ろしい。』

“心の復興”とは何だろうか。目に見えることだけで判断しては行けなくて、目に見えないことを見ようとする努力、想像する努力、被災者と同じ気持ちになることが意味を持つと感じながら撮影をした。

 

釜石市の消防団の鈴木堅一さん。奥様、ご長男夫妻、お孫さんのご家族4人全員を亡くされた。とても穏やかで優しい鈴木さんは、『前を見ていないと立ってられない』という。

自宅を再建し仏間を作ったら落ち着くのではないかと前を向き、10年経ってようやく今年再建できるところまできた。私は、この映画を撮って、前を向くという言葉が少し嫌いになった。みんな前を向きたく向いているのではなく、前を向かないと崩れてしまうから前を向いているということを教えてもらった。前を向いて明るく振舞っているが、それは何とか立ち続けるために前を向いていることだと知った。

 

福島県川内村の秋元美誉さんとソノ子さん夫妻

川内村は原発事故現場から近いものの、線量が少ない村。だが、全村避難となった。 加えて、震災の年は作物を作ってはいけない、田植えをしてはいけないとの行政指導が発出。 秋元さんはこれを押し切り、被災した2011年も自己責任でひとり田を耕し、米を作った。収穫目前に、行政は避難区域で作った作物は食べてはいけないとの条例を発令。 だが、収穫後の線量検査結果では、数値は非常に低く、食べても問題ないレベルだと判明。 国、県、村が反対する中、秋元さんが自己責任で米を作り、その結果線量が低いことを証明したことで、翌年からみんながまた米を作ることが出来た。

 

同じく、川内村で旅館を経営する井出茂さん

原発の恩恵を受け、過疎化から救われた村。 『原発事故は、同時代に生きる人として共謀共同正犯』と井出さんはいう。 住民は被災者のはずなのに、被害者という面ばかりではない、自分たちも事故の加害者なんだ、という。 東京に住む我々こそが、原発事故の共犯者だという自覚を持つべきなのにそうはならず、直接的な被害を受けた地元の方々がそういう風に断言されたのは衝撃的だった。聞けば、震災前から東京電力社員とは地域貢献ということで付き合いがあり、人と人との関係が出来上がっていたそうだ。まただいぶ前から過疎高齢化が顕著となった村では、隣町に原発ができたから、学校ができ病院ができ働き口ができ、経済的に大きな恩恵を受けてきたという歴史もある。だからこそ、現場では苦しんでいる東電の地元社員を間近に見て、一方的に糾弾することはなく、自分たちも共犯者で復興のパートナーだという。結局信頼というものは人と人との間にしか作れないと感じた。

 

以上がこの映画制作で印象に残った幾つかの言葉。

 

2019年3月、この映画を韓国で公開することとなった。韓国での題名は『春は来る』。 

韓国では、東日本大震災と言えば原発事故のイメージが強く、イメージが悪いことと折からの日韓関係の悪化が重なり、事前の宣伝告知が出来なかった。 

 

在韓日本大使館の理解を得て、大使館主催で上映会が執り行われた。

大使館からみた意義としては、二つあり、一つは韓国では原発事故ばかりが報道され、津波被害の報道が伝わっていないが、この映画を通じてそれを伝えることが出来る。 もう一つは、韓国から多くの復興支援を頂いており、そのお礼を伝えるいい機会になるというもの。

 

日韓関係最悪時にこの映画を韓国の人に見てもらう意義は?という自問自答に対して、この映画に出て来るお二人の言葉が心に残ったので、ここで紹介する。

 

南三陸の後藤一磨さんの言葉

『私たちは順調なうちは反省もしないし悪いことをしていてもそれが悪いことだと気づかない。 でもこういう大きな変化があると、気づかざるを得ない。 その時、何に気づくか、その学びがとても大切だ』

これは、復興前と同じ姿にするのが果たして正しいのか?という問いかけ。

元に戻すことより、前と違う価値観のまちにすることの方が大切であり、価値観の変換をするいいチャンスでもあること。 

これは日韓関係でも同じで、当てはまるの。もし日韓関係が良好なら何が問題かは意識しなくてすむが、関係が悪いということは何か問題があるということなので、『何が問題なんだろう』と考え、どういう学びをするかが大切なこと。

 

石巻市の遠藤伸一さんの言葉

『もう人生終わった。生きている意味ないと思った。 あの時悪い考えを起こさず、生き延びることができたのは、常に周りに寄り添ってくれる人がいたから。言葉じゃない。お金でもない。人の心だけが救ってくれた。』 本当に物理的に常に誰かが遠藤さんご夫妻の傍にいた。交代で絶対誰かが遠藤さんご夫妻の隣にいて、昼も夜もみんなで遠藤さんご夫妻を一人にさせなかった。 言葉でも、お金でもなく、寄り添いたいという人の心が遠藤さんご夫妻を救った。 これは私にとってとても大きなメッセージだった。これも日韓関係でも同じことが言えるのではないか。 相手が何を思っているかを考えることが必要。どれだけ相手の気持ちに寄り添える姿勢があるかないかが大切なのでは。

 

日韓文化交流基金の小野理事長は、日本と韓国の間では、国民の考え方に決定的な違いがあるという。 日本では、『守る』ことが重要。人との約束を守る。過去の国際的な約束や合意を守ることを重要と考える。一方、韓国では、『正しい』ことが重要。過去の国際的約束や合意も道徳的に正しくなければ正すべきと考える。

どちらがいい悪いではなく、お互い違う物差しを持っていて、自分の物差しで相手を測ると理解できないということだと思う。

 

被災した人々と、そうでない人々は違う尺度を持っているということは理解すべき。その違いを認識できるか出来ないか、相手の尺度はどうなんだろうと想像力を持てるか持てないかが大事だということを韓国での上映会でも勉強した。

 

この映画を作れて本当に良かったと思う。 取材する側される側という関係ではなく、本当に友人になれたと思う。こういう人のつながりがあるから生きていられると思う。

以上

 

(文責:松下剛)